アンフィルム青年日記

口だけ達者な20代若者が「低品質・大量生産」というスタンスでアクセスを愚直に獲得していくブログ。お問い合わせはunfilmoui@gmail.comまで。


闘う対象がない若者の敵は「人生に対する圧倒的な虚無感」である

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あなたは何と闘っていますか?

 

今の日本人の若者って「戦闘能力がゼロ」だと思うのです。闘う必要がない安全な環境で育っているから、戦闘能力が育たない。怒りをうまく外に出せない。生命感を脅かされるものがないと、逆に人間というのは路頭に迷う。その状態が、今の日本人の若者には顕著に表れていると思うのです。

 

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闘う対象がある幸せ

「闘うものがないというのは幸せなこと」

そう思うかもしれません。自分の生命を脅かされることなく、安全に暮らせるから。

しかし、エネルギーが有り余る若者にとっては、不幸なことかもしれません。だって、「このエネルギー、一体どこで消費すればいいんだよ?」ってなるじゃないですか。

社会全体としては「国民がなるべく闘わなくてもいいように」と法整備や社会保障制度を整えるのはとても大切です。しかし、個人として考えたときに、「闘うものがない」というのは本当に幸せなことなのか?

最近の私が考えていることです。

 

 

若者は「虚無感」と闘うしかなくなった

闘う対象がないからといって、若者が闘っていないわけではありません。若者は圧倒的な「虚無感」と闘っているのです。

人生に対する虚無感です。「どうせ死ぬのになんで生きるだろう」という虚無感です。

一定レベル以上の衣食住が保証されていれば、人間の思考のベクトルは「未来」に向きます。今日の飢えを凌ぐ必要がないからです。

 

「明日なにやろう?」

何も努力しなくても、明日は自動的にやってくるんです。これだと、もう人生自体が「暇潰し」に近い感覚になります。

 

皆さんの周りでもいると思います。

「人生なんて暇潰しでしょ?」なんて言う人が。

 

「人生は暇潰し」と主張する人はおそらく虚無感に襲われてどうしようもない状況に陥っています。闘う対象がないことはこんなにも苦痛なんです。

言ってしまえば、敵のいないRPGゲームですよ。

やることないでしょ。道端でアイテムを拾いまくっても、敵がいなければ意味がないんです。

 

 

威厳がある大人もいないからね

若者が虚無感に襲われている理由のひとつ。それは「威厳のある大人が減ったこと」です。

昔に比べて、威厳のある大人がめっきり減ったのは間違いないでしょう。昔の時代に生きた経験のない私にも想像がつきます。

たとえば、今は先生よりも生徒の立場が強いケースが目立つじゃないですか?

先生も生徒を恐れてる。生徒も生徒の両親も、何か問題があればすぐに教育委員会に訴えることができるし、生徒はSNSという最強ツールを持っていますしね。

先生と闘おうと思ったら、すぐに潰せてしまうじゃないですか。

先生も「理解ある先生」になろうとするから、生徒は学校に対して反骨心なんて抱く必要がないんです。

 

 

やりたいことじゃなくて闘いたい場所はどこか?

「人生どうせ死ぬから」という虚無感を完璧に振り切ることは生きている限り難しいでしょう。不確実性溢れる人生の唯一真理は「死ぬこと」です。死は必ず訪れますから。

だから、その命をどこに使うのかが問題なんです。「人はなぜ死ぬのか?死ぬのになんで生きるのか?」という問題をひたすら考えることは悪くはありませんが、気力が続かず確実に病むでしょう。

だったら、「自分が闘いたい場所はどこなのか?」ということを熟考するのはどうでしょうか?

「やりたいこと」と言い換えることもできますが、言葉の緩さが目立つので、あえて「闘いこと」です。

学問なのか、スポーツなのか、ビジネスなのか、芸術なのか?

 

「自分が闘える場所」を私も見つけたい。

「人生暇潰し」という捉え方は全然嫌いじゃないんだけど、だったらいい暇潰しにしたいじゃないですか。。。

 

とりあえず私も明日から本気出して闘う。

 

明日から!

明日から?

明日から...

 

今日はとりあえず

ネットフリックスするから。

明日から本気出す!