アンフィルム青年日記

口だけ達者な20代若者が「低品質・大量生産」というスタンスでアクセスを愚直に獲得していくブログ。お問い合わせはunfilmoui@gmail.comまで。


読書に意味があるかなんて考えるのは現代らしい

「読書に意味はあるのか」と考える人は恐らく読書をしてこなかった人だろう。また、「読書は意味がない」と本を置ける人もまた真面目に読書に取り組んだ経験を持たない人ではないだろうか。ここで言う読書は主に〈小説を読むこと〉を中心に書いている。


●読書が意味がないという意見に対して「意味がある」と主張するのも可笑しい


ある人が読書を否定したからと言って、「読書には意味がある」と理由付けして反論をするのも馬鹿馬鹿しいと思う。
そもそも本というのは「意味や目的」を持って読むのか。たとえば、あなたが一冊の小説を見つけて実際に読み始めるとき、"さてこの本で何を得れるかな?"なんて考えるか。もし、考えるなら、それは少し変わっている。小説は文章を追っていく中で感じるものがあるだけで、別にそこに目的や意味なんて見出だす必要がないのだ。

●書店に並ぶ数多くのビジネス書は読者に目的や意味を教えようとする


「読書に意味があるのか?」と現代人が考えてしまう原因の根本には「本に人生の答えを見出だそう」という姿勢がある。つまり、本は娯楽ではなく、ひとつのツールになったのだと思う。その最たる例が「ビジネス書(自己啓発書)」である。
ビジネス書は実践的であることが求められる。つまりは、読者が瞬時に実践できるものが中心に書かれている。読者はより良い人生を生きるためにビジネス書を取る。
しかし、実践的ということはイコール現実的である。小説のような手の届かない夢の、創造された世界の話ではない。想像力は要らない。
だから、ビジネス書は読み込む人の話はつまらない。ビジネス書は読めば読むほど、夢がなくなってしまう。現実に生きるようになるからだ。

●すぐに役立つものはすぐに役立たなくなる


現代人は実用的なものを求めている。小説家・伊集院静は「すぐに役立つものはすぐに役立たなくなる」と書いていたが、現代人はそう思わないだろう。"別に後にゴミになってもいいからすぐに役立つものを"というのが現代である。つまり、使い捨てで生きているのである。

●読書以外の暇潰しが充実している


そもそも読書に時間とお金を割く人間も少なくなっているのだろう。暇潰しならいくらでも効く。ネットニュース、SNSYoutubeNetflix等の月額映画サイトなど、本当に暇を潰す方法がいくらでもあるのである。
このように暇潰しの方法はたくさんある中で、読書は読み手の労力がある程度必要とした暇潰しである。「文章を読む」というのは面倒な行為であり、基礎体力が出来上がっていなければ、読書なんてただの苦痛に過ぎない。
読書をしないで大人になった者はその後も読書をしないで過ごすだろう。大人になって読書に対する基礎体力をつける時間は大人にはない。

●読書は学生のうちに体験しておくこと


だから、読書という行為に少しでも興味があるなら、「学生のうちに体験しておけ」と私は思うのである。そうすれば、「読書の意味」なんていちいち考えずに、純粋な気持ちで本に親しみを感じることができるだろう。

皆さんは最近どんな本を読みましたか?